ABOUT-音楽評論家、増田勇一氏が提唱するLUNATIC FEST.が持つ意義とは?
LUNATIC FEST.
2015年6月27日と28日の両日、LUNA SEAの主宰による『LUNATIC FEST.』が初めての開催を迎えることになった。昨年、バンド始動から四半世紀を迎えた彼らは、年をまたぎながら25周年の大々的なアニヴァーサリー・ツアーを展開してきたが、そうした時間の流れを締め括るのがこのフェス、ということになる。
とはいえこの『LUNATIC FEST.』は、単なる祝祭の場として設けられるものではない。LUNA SEAのメンバーたちが異口同音に語るのは、彼ら自身と所縁の深いアーティスト、あるいはLUNA SEAと精神的共通項を持ったアーティストたちだけが、世代やジャンル感などの壁を超えながら一堂に会する機会になる、ということ。実際、それが特定の音楽カテゴリーのみに限られたものでも、彼らにとっての近親バンドのみに限定されたものでもないことは、絢爛豪華かつ奇想天外な出演者の顔ぶれを眺めてみただけでも明らかである。
人脈図的にも、国内ロック史の変遷から見ても、LUNA SEAにとっての敬意の対象たるX JAPANやBUCK-TICKといった先駆者たち。メンバーたちの初期衝動を揺らしたDEAD ENDやD’ERLANGER。彼らと同じ時代を闘い、生き抜いてきたGLAY、SIAM SHADEといった同胞。さらには彼らの開拓したシーンに生まれながら世界規模の活動を繰り広げているDIR EN GREYやMUCC。今様ラウド・ロックを代表する存在であると同時に、惜しみなくLUNA SEAへのリスペクトを口にする、coldrainやROTTENGRAFFTY。凛として時雨や9mm Parabellum Bullet、Fear,and Loathing in Las Vegasや[Alexandros]、the telephonesの面々も、彼らから受けた影響やインスピレーションの大きさについて公言している。
しかもそこにはAIONやLADIES ROOM、TOKYO YANKEESといった、彼らにとって直系の先輩にあたるバンドたちに加え、もっと以前から彼らに歴史を紐解いてきた先達のひとりともいうべき土屋昌巳の率いるKA.F.KA、SOFT BALLETのMAKI FUJIIとKEN MORIOKAによるminus (-)など、まさに他の何者とも融解し合うことのない“個”ばかりがここに名を連ねているのだ。
こうした出演者たちを繋ぐ最重要な共通項が、何を隠そう“狂気”なのである。ロックとはそもそも、それを孕んだものであるはずだった。時流とともにロック自体の商業化と形骸化が進み、むしろそのスピードが加速傾向にあるように感じられる昨今ではあるが、そうした状況に一石を投じ、冷水をぶちまけようとしているのが、この『LUNATIC FEST.』なのである。
LUNA SEAはかつて、自らのバンド名をLUNACYと表記していた。根底にあるのは間違ってもロマンティックなイメージなどではなく、この英単語が意味する“狂気”だったのである。考えてみれば、『狂気』という表題の冠せられたPINK FLOYDの名盤の原題は、『THE DARK SIDE OF THE MOON』である。そう、“月の裏側”にはやはり“狂気”が潜んでいるのである。
音楽性やバンドとしての成り立ちはさまざまでありながら、表現活動に向かう姿勢という部分において“狂気”を孕んだ、数々の出演者たち。彼らはいわば、同じトライブ(種族)に属している。そしてこの“最狂のフェス”の場において、異分野で呼吸する異世代の同族たちを繋ぎ合わせる役割を担っているのがLUNA SEAであり、彼らは、自分たち以外にはそれが不可能であることを本能的に熟知しているのである。いわば、使命感。5人にこのフェス実践を決意させたのは、まさにそれだったのではないだろうか。
2015年6月、日本の音楽シーンに確かな変革が訪れようとしている。何がどう変わることになるのかは、まだ誰にもわからない。だが、大切な何かを取り戻し、その何かを次代へと繋げていこうとするLUNA SEAの意志は、かならず何かを動かすことになるはずなのだ。そして出演者たちのみならず、あなた自身にもその場面の目撃者であって欲しい。あなたもまたおそらく、同じ種族に属しているはずなのだから。
文:増田勇一